日本勤労者山岳連盟趣意書
わが国の近代登山は、すでに80年近い歴史を持っている。その創立期に活躍したのは、社会的・
経済的に恵まれた青年たちであったが、1930年代(昭和初期)には国民的なスポーツ・レクリエー
ションとして発展する道をたどりはじめていた。だが、登山の正常な発展は、軍国主義の支配と
侵略戦争の拡大によって著しく阻害された。
戦後、わが国の登山はかつてない発展の時期をむかえた。社会の民主的変革をめざす諸運動の高
揚とその成果が、文化・スポーツの分野でも新しい発展をうながしたからである。だが、国や自治
体、既存の山岳団体はその新しい状況に有効に対応することができなかった。登山の新しい発展を
担うべき新しい理念と組織が求められたのである。
1960年(昭和35年)、登山を愛好する進歩的な人々によって「勤労者山岳会」が結成され、
勤労者による新しい登山運動が提唱された。その運動は短期間に全国に広がり、1963年、「日本
勤労者山岳連盟」が結成されるに至った。
「日本勤労者山岳連盟」は、わが国の登山の優れた伝統を継承するとともに創造的な活動を展開
し、登山の発展に力を尽くしてきた。そして今日、日本の登山界のなかで揺るがぬ地歩をきずいて
いる。
1.権利としての登山
今日、登山の真の担い手は勤労者である。したがって勤労者が束縛されているさまざまな社会的
制約から解放されないかぎり、登山の真の発展はあり得ない。
登山を楽しむためには、賃金、労働時間など労働条件の改善が不可欠の条件である。
また国や自治体による登山者教育、山小屋建設、登山道整備、交通体系の確立など、さまざまな
政策の確立が必要である。それらはヨーロッパ諸国にくらべ、わが国ではひどく立ち遅れている。
そればかりでなく、国や自治体あるいは企業のなかに勤労者の自主的な文化・スポーツ活動にたい
する偏見や敵意がいまなお温存されている。勤労者が求めているのは、「官製」「社製」などの恩
恵的にあたえられる文化・スポーツではない。自らの要求に基づく自ら自身のための文化・スポー
ツである。
すべての国民は”人間らしく成長し、人間らしく生きる権利”を持っている。登山をはじめ文化
・スポーツは、その権利の重要な構成部分である。国や自治体はその権利を保障する義務がある。
それを実現するため登山者は、広く国民との共同行動を発展させるための力をつくさなければなら
ない。
2.登山の多様な発展
わが国の自然は美しく豊かである。山と高原、渓谷、森林、雪渓、岩壁、そして四季それぞれの
変化-それは多様な登山を発展させる自然条件である。そればかりでなく、古い時代に成立した山
岳宗教をはじめ、さまざまな文化的影響を受けてわが国独特の登山が形成されてきた。今日、登山
は国民に最も親しまれるスポーツ・レクリエーションとして多様な形で発展している。
最近における経済の「高度成長」とそのもとでの都市人口の急激な増加は、人間と自然の結びつ
きを弱め、精神と肉体を損傷した。豊かな自然のなかで生活したいという願いは、健康を守ろうと
する意識の強まりとあいまっていっそう切実なものとなり登山にたいする国民の関心と欲求はかつ
てなく高まっている。
国民の求める登山はけっして同一のものではない。それぞれの意識や年齢、生活条件によって、
多様な形態と内容の登山が求められている。その実現に力を尽くすことによってのみ登山の創造的
発展もまた可能である。
3.海外登山の普及
海外登山・トレッキングもまた活発に行われ、ヨーロッパはもとよりヒマラヤ、アラスカ、アン
デスなど広範な地域に及んでいる。国内では経験することのできない自然条件下での登山、あるい
は風土、言語、習慣などの異なった国々での生活経験は、登山者の人間的成長に大きな影響をもた
らす。また登山を通じての親睦・交流の広がりは、国際連帯の精神を育てるだろう。海外登山の活
発化は歓迎すべきことであり、さらに発展させなければならない。
海外登山の経験と成果は全国的にも地域的にもかなり蓄積されている。だが、その普及は立ち遅
れている。海外登山の普及を歓迎しない風潮や登山界の伝統的な閉鎖性がなお残されているからで
ある。それを克服し広範な登山者と海外登山との結びつきを深めなければならない。国内での多様
な登山の発展と海外登山を結合させることによって、登山はいっそう内容豊かなものとなるだろう。
確固とした世界平和は、海外登山発展の基礎である。諸国民との相互理解、友好をさらに深める
ことが強く求められている。
4.遭難事故の防止
生命の尊厳はなにものにもかえることはできない。それにもかかわらず多くの生命が山で失われ
ている。われわれもまた少なくない仲間を失った。
厳しい自然のなかで行われる登山においてその安全性が確保されるためには、登山者の教育・訓
練が不可欠の前提となる。山岳団体の多くはそのことを自覚しており、真剣に取り組んでいる。だ
が、その努力は必ずしも充分な成果をあげ得ていない。
また、注目しなければならないのは、広範な登山者が山岳会に組織されていないことである。そ
の登山者の教育・訓練は、有力な山岳団体の善意の努力だけでは解決できない。国や自治体の積極
的な取り組みが必要である。
だが国や自治体はその責任を回避して、登山規制を強化するなど消極的な対策に終始してきた。
もとより登山における安全性は登山者の日常的な努力によって確保される。そのためにも、国や自
治体によってすべての登山者に教育・訓練を受ける機会があたえられなければならない。また遭難
救助のための人員、資材、資金などを保障する制度の確立は、国や自治体の責任である。
それぞれの山岳団体における教育・訓練の改善、救助体制の確立は、さしせまった課題である。
現実に少なくない遭難事故が起こっている以上、放置することができないからである。それぞれの
山岳団体が独自に努力するばかりでなく、有力な山岳団体の相互協力が必要となっている。
遭難事故を考えていくうえでけっして忘れてならないことは、現代社会の退廃的風潮の影響であ
る。それは生命を軽視する傾向をつくりだしている。その傾向とたたかうことが重要な課題となっ
ている。
5.自然を守る
わが国の自然は、過去十数年の間にかつてなく大規模に破壊された。それは国民の生存そのもの
が憂慮されるほど深刻な事態をつくりだしている。
山岳自然の破壊もはなはだしく進んだ。国や自治体はそれを規制するどころか先導的役割さえ果
たした。登山者をはじめ広範な人々がそれに反対し、少なくない成果をあげた。だが、山岳自然の
大がかりな破壊をおしとどめることはできなかった。
「過疎対策」「観光開発」「水資源開発」などの美名をかかげて進められてきたこれまでの開発は、
山村生活を深刻な危機におとしいれている。それらの開発が、山村の犠牲のうえに大資本の利潤増
大を追求するものにほかならなかったからである。自然を守り育ててきたのは、そこに生活する勤
労者である。生活に根ざす切実な要求と結びつかない開発は、よりよい結果を生まない。自然を守
る運動もその立場を貫かねばならない。
「観光開発」で重視しなければならないのは、「すべての人に山を楽しむ権利がある」という主
張で、ロープウェイや観光道路の建設が正当化されていることである。バスやロープウェイによる
”観光登山”では風景を眺めることはできても健康を増進することはできないし、自然への愛着を
育てることはできない。また、それは山岳自然の荒廃をもたらす誘因ともなっている。山岳自然の
荒廃は登山の楽しみを奪うばかりでなく、登山そのものの荒廃と人間の荒廃を導く。
豊かな自然は将来にわたる国民の共有財産である。これを守り育てていくことは登山者の重要な
責務である。
われわれはこうした認識と立場に立って、登山の創造的発展のために運動を進めている。そして
いま登山の新しい発展のため、心をひとつにして尽力しようと、広く登山を愛好する人々に呼びか
けるものである。
日本勤労者山岳連盟
(1978年 2月)